原爆記念日

terasみはぽんた

2009年08月09日 09:26

今年もやってきました、8月9日。

長崎出身のワタシにとっては特別な日です。

あと、狙ったワケではないのですが、

入籍記念日でもあります。

ダブルで忘れられん!



私の祖父は、三菱の工場で働いている時に被爆しました。


94歳の大往生でこの世を去った時、

焼かれた骨のクボミに、溶けたガラスがありました!


生涯、あの日首に刺さったガラスを抱えたままだったことを、

その時初めて知りました。



父は、運良く疎開していて無事だったのですが、

数日後、母と焼け野原を歩いて家に向かったそう…。

その日の光景は、今でも忘れられない…と言っていました。



長崎にいる子どもの頃は、

被爆地として、原爆の恐ろしさを知ること、平和の尊さを考えることが、

とても身近にありました。



「情報」というより、

身近な人の「体験」として、

肌で感じる機会が多かった…。



子どもですから、時にはそのすさまじさに、

泣きそうになることも多々ありました。


広島に住んでいる時も同様でした。



でも、

長崎以外に暮らしていると、

ニュース等々での情報量はもちろんのこと、

肌で感じる機会が圧倒的に少ない! 

ビックリします。



被爆国としてそれでいいのか?



世界で唯一、

原爆がどういうものなのか知り、

伝えることができる国として、

それはいかがなものかと思います。



核の問題。

理想と現実があり、難しい問題だとは思います。


でも、

ダメなものはダメ。

その悲惨さを世界中の人がしっかり直視してほしいです。




うちでは、毎年のように、

平和公園や原爆資料館に訪れます。


チビたちは、うちの父にも、

その時の様子を一生懸命聞いたりしています。




「多くの犠牲や思いの上に、この命がある。

アタリマエの暮らしがある。

命のありがたさ、感謝の気持ち。

それを感じて欲しい…」

と、チビたち伝えています。


でも、

「どうして戦争はなくならないの?」

という問いに、ハッキリ答えられないのがもどかしい…。



お盆の季節、

先祖たちの苦労や、

平和について考える、

子どもたちに伝えるのは、

今生きる私たちの最低限のツトメなのかもしれません。



平和を願い、誓うとともに、

犠牲者の方のご冥福をお祈りします。

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