原爆記念日
今年もやってきました、8月9日。
長崎出身のワタシにとっては特別な日です。
あと、狙ったワケではないのですが、
入籍記念日でもあります。
ダブルで忘れられん!
私の祖父は、三菱の工場で働いている時に被爆しました。
94歳の大往生でこの世を去った時、
焼かれた骨のクボミに、溶けたガラスがありました!
生涯、あの日首に刺さったガラスを抱えたままだったことを、
その時初めて知りました。
父は、運良く疎開していて無事だったのですが、
数日後、母と焼け野原を歩いて家に向かったそう…。
その日の光景は、今でも忘れられない…と言っていました。
長崎にいる子どもの頃は、
被爆地として、原爆の恐ろしさを知ること、平和の尊さを考えることが、
とても身近にありました。
「情報」というより、
身近な人の「体験」として、
肌で感じる機会が多かった…。
子どもですから、時にはそのすさまじさに、
泣きそうになることも多々ありました。
広島に住んでいる時も同様でした。
でも、
長崎以外に暮らしていると、
ニュース等々での情報量はもちろんのこと、
肌で感じる機会が圧倒的に少ない!
ビックリします。
被爆国としてそれでいいのか?
世界で唯一、
原爆がどういうものなのか知り、
伝えることができる国として、
それはいかがなものかと思います。
核の問題。
理想と現実があり、難しい問題だとは思います。
でも、
ダメなものはダメ。
その悲惨さを世界中の人がしっかり直視してほしいです。
うちでは、毎年のように、
平和公園や原爆資料館に訪れます。
チビたちは、うちの父にも、
その時の様子を一生懸命聞いたりしています。
「多くの犠牲や思いの上に、この命がある。
アタリマエの暮らしがある。
命のありがたさ、感謝の気持ち。
それを感じて欲しい…」
と、チビたち伝えています。
でも、
「どうして戦争はなくならないの?」
という問いに、ハッキリ答えられないのがもどかしい…。
お盆の季節、
先祖たちの苦労や、
平和について考える、
子どもたちに伝えるのは、
今生きる私たちの最低限のツトメなのかもしれません。
平和を願い、誓うとともに、
犠牲者の方のご冥福をお祈りします。
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